うつうつ日記
現在うつ病中の自分が現状と、もっとひどかった時の回想を綴る日記です。同病の方はより悪くなるかもしれないですが、素直な気持ちなので患者さんの家族の方とかに見て貰いたいです。
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うつを患って、早一年。もっと前から症状はあったから本当はもっと長いです。
がまんが出来なくなって。病院に行って一年。浮いたり沈んだり、笑ったり泣いたりしてきたことをカタチにしようと思って始めてみました。
どちらかというと、自分はうつっぽい人にうつっぽい話を聞くと、自分も波に巻かれるタイプです。
なので、自分、うつかも…と悩み中の方は巻き込んでしまう可能性があります。
だからあくまでこれは自分の記録です。
しいて読んで欲しい人がいるとすれば家族にうつの人がいて、どう対応していいのか分からない人です。素直に書いていこうと思います。
こんなこと、思ってます。
こんなこと、ありました。
そんなブログです。
そんなの見たくないって思ったら窓の右上のバッテンをカチッとしてくださいですよ!
文句を送ってこないでくださいね。罵詈雑言に耐えられるほどは治ってません。
がまんが出来なくなって。病院に行って一年。浮いたり沈んだり、笑ったり泣いたりしてきたことをカタチにしようと思って始めてみました。
どちらかというと、自分はうつっぽい人にうつっぽい話を聞くと、自分も波に巻かれるタイプです。
なので、自分、うつかも…と悩み中の方は巻き込んでしまう可能性があります。
だからあくまでこれは自分の記録です。
しいて読んで欲しい人がいるとすれば家族にうつの人がいて、どう対応していいのか分からない人です。素直に書いていこうと思います。
こんなこと、思ってます。
こんなこと、ありました。
そんなブログです。
そんなの見たくないって思ったら窓の右上のバッテンをカチッとしてくださいですよ!
文句を送ってこないでくださいね。罵詈雑言に耐えられるほどは治ってません。
吐いた話から昨日は脱線しましたが。
まあなんにせよゲロゲロとすごしていました。
最終的に毎日はいてました。
当時はまだ心療内科には一つ目のところにすら行っていなくて、「ストレスで胃が悪いに違いない」と言っていました。
冷静に考えれば
「社屋に近づく、もしくは入ると泣くか吐く」
「通勤時に車を見て(これにぶち当たれば仕事にしばらく行かなくて良いな)と思う」
「高いところから落ちれば怪我して仕事に行かなくていいなと思う」
「死にたくないけど、橋から落ちたい、飛び込んでしまいたい」
「死にたいわけじゃないけど消えたい」
「通勤時には例の彼女への恨み言を考え続けて45分」
「行きたくないと10分くらい大泣きしてからしか仕事に行けない」
「休みの日には何もしたくない(家族がいるからしてたけど)」
「楽しいことがない」
これだけ満たしててよくも…と思いますが、とにかく病院でうつ病だと言われるのもうつ病じゃないと言われるのも嫌だったんです。
うつ病といわれるのが嫌なのは分かるけど、うつ病じゃないのも嫌って不思議だと思われるかもしれませんが、上記の自分でも分かる異常な状態を自分の性格のせいだと受け止めるのも辛かったんです。
病気じゃないということは、私は一生こうなんだという事なんですから。
そんなに仕事が嫌なんてワガママな甘えなんじゃないか。
だるいのどうのって、やっぱり怠けてるんじゃないか。
だって人様(同部署の先輩)は普通に頑張っているのに。
でもうつ病なんて体裁の悪い病気では夫の両親や自営業で仕事には厳しい自分の両親の手前、困る。
例の彼女を許せないと思ってやってきたのに同じ病気なんて絶対に嫌だ。
そんな想いが心療内科に二の足を踏ませていました。
うつ病の敵は偏見だと言いますが、私自身が一番うつ病に偏見を持っていました。
後述すると思いますが、それはまだ残っています。まだ。
治療しながらも、私はまだ病気の自分を受け止めてはいないのです。
だから「もし胃炎か何かで入院すれば、しばらく仕事が休める」とも考えていて、吐くのを理由に、補助の社員さんが来る日を選んで有給休暇を取り、総合病院へ。
結果…胃カメラまで撮ったのに胃はきわめて健康。
そういえば3年の間に乳房に水が溜まったり、眩暈症(正式病名忘れました)になったり、しましたが全部大したことない上に理由は全部ストレスって言われたなあ…と思い返しつつ、内科の先生に現状を話しました。
…情けないことに自分ではなく休みをわざわざ取って一緒に来てくれていた夫が話してくれました。
そして結局内科の先生にも心療内科を勧められてしまったのでした。
しかし、上司と先輩にそんなことは言えるはずもなく、私が通ったのは残業を避けた日なら行ける時間まで開いていた病院でした。今思えば、受付時間ギリギリに駆け込んでしか来ない患者に時間なんてかけないですよね。先生も人間だもの。
という訳で、先生との信頼関係は築けず、インターネットで調べて通勤上近かった今の病院へ。
ここなら午前中だけ休みを取れば通えた、というのが理由です。
そして、最初の診療の30分ほどのカウンセリングで、自分のこと…ここ三日ほど書いてきたようなことですね、それをひとつひとつ話すうちに涙が止まらなくなっていました。
私の夫は優しい人で、私を攻めません。
それでも相談できないこともありました。
そんなことも話して、仕事のことも、体の状態も話して。
カウンセラーの方からバトンタッチした先生は「もう、我慢しないでくださいね。一緒に治しましょう」と言って下さいました。
しかしちょっと我慢しすぎたらしく、私結構悪くなってたみたいです。
先生は「普通ある程度様子を見てから診断を出すんで、初回の患者さんには勧めないんだけど…お仕事をしばらく休めない?」と言われてしまいました。
すぐには休めないのはもう書いてきた通りだったんですが、その言葉で少し楽になりました。
病気だから、という免罪符を貰った気になったんです。
さっき病気だといわれるのも、そうでないのも嫌…と書いたんですが、病気のほうがまだマシだったみたいです。
この時はすぐそれを受け入れて、薬を貰い、「いつでも診断書は出せるから上司に相談して」という先生の言葉を後ろ盾にできただけで、なんだかホッとしたんです。その日半日仕事を休めたのも大きかったようです。
上司にかくかくしかじかで通院をしているという事と、先生に病気休暇を勧められている事を告げ、週一回通院のために半日ずつ休むことを宣言しました。
それには勇気がいりましたが、もうしかたないものは仕方ない!とぶつかりました。
ココで勇気をくれたのは、コンサート友達の言葉でした。
彼女は20代で大病を患い、会社を辞めました。というか、辞めざるをえませんでした。上司が見舞いという体で退職勧告に来たりもしたといいます。法的にどうあれ、職場の状況やいろいろな事情があったと思います。
そして彼女は会社を入院中に辞めていました。
そんな訳で彼女の言葉は「会社に尽くしても会社は何も返してくれない。自分を大事にしなさい」でした。
私がどんなに頑張っても、頑張ったという事柄に対し会社は何もくれないのだから、頑張らなくていい。
そう言ってくれました。ウチの会社は福利厚生の制度はまあ例の彼女のようにすごく充実しているんですが、病気と闘わなければいけないのは私です。
我慢で自分が壊れてしまったあとに休みを貰うより、通院のために普通の有給休暇を使うほうがいいと、私は判断しました。
そんな訳で、週一回半日ずつ。落ち着けば2週に一回くらいでいいと聞いていましたから、20日の有給からなんとか通院して行こうと決めた私でした。
まあなんにせよゲロゲロとすごしていました。
最終的に毎日はいてました。
当時はまだ心療内科には一つ目のところにすら行っていなくて、「ストレスで胃が悪いに違いない」と言っていました。
冷静に考えれば
「社屋に近づく、もしくは入ると泣くか吐く」
「通勤時に車を見て(これにぶち当たれば仕事にしばらく行かなくて良いな)と思う」
「高いところから落ちれば怪我して仕事に行かなくていいなと思う」
「死にたくないけど、橋から落ちたい、飛び込んでしまいたい」
「死にたいわけじゃないけど消えたい」
「通勤時には例の彼女への恨み言を考え続けて45分」
「行きたくないと10分くらい大泣きしてからしか仕事に行けない」
「休みの日には何もしたくない(家族がいるからしてたけど)」
「楽しいことがない」
これだけ満たしててよくも…と思いますが、とにかく病院でうつ病だと言われるのもうつ病じゃないと言われるのも嫌だったんです。
うつ病といわれるのが嫌なのは分かるけど、うつ病じゃないのも嫌って不思議だと思われるかもしれませんが、上記の自分でも分かる異常な状態を自分の性格のせいだと受け止めるのも辛かったんです。
病気じゃないということは、私は一生こうなんだという事なんですから。
そんなに仕事が嫌なんてワガママな甘えなんじゃないか。
だるいのどうのって、やっぱり怠けてるんじゃないか。
だって人様(同部署の先輩)は普通に頑張っているのに。
でもうつ病なんて体裁の悪い病気では夫の両親や自営業で仕事には厳しい自分の両親の手前、困る。
例の彼女を許せないと思ってやってきたのに同じ病気なんて絶対に嫌だ。
そんな想いが心療内科に二の足を踏ませていました。
うつ病の敵は偏見だと言いますが、私自身が一番うつ病に偏見を持っていました。
後述すると思いますが、それはまだ残っています。まだ。
治療しながらも、私はまだ病気の自分を受け止めてはいないのです。
だから「もし胃炎か何かで入院すれば、しばらく仕事が休める」とも考えていて、吐くのを理由に、補助の社員さんが来る日を選んで有給休暇を取り、総合病院へ。
結果…胃カメラまで撮ったのに胃はきわめて健康。
そういえば3年の間に乳房に水が溜まったり、眩暈症(正式病名忘れました)になったり、しましたが全部大したことない上に理由は全部ストレスって言われたなあ…と思い返しつつ、内科の先生に現状を話しました。
…情けないことに自分ではなく休みをわざわざ取って一緒に来てくれていた夫が話してくれました。
そして結局内科の先生にも心療内科を勧められてしまったのでした。
しかし、上司と先輩にそんなことは言えるはずもなく、私が通ったのは残業を避けた日なら行ける時間まで開いていた病院でした。今思えば、受付時間ギリギリに駆け込んでしか来ない患者に時間なんてかけないですよね。先生も人間だもの。
という訳で、先生との信頼関係は築けず、インターネットで調べて通勤上近かった今の病院へ。
ここなら午前中だけ休みを取れば通えた、というのが理由です。
そして、最初の診療の30分ほどのカウンセリングで、自分のこと…ここ三日ほど書いてきたようなことですね、それをひとつひとつ話すうちに涙が止まらなくなっていました。
私の夫は優しい人で、私を攻めません。
それでも相談できないこともありました。
そんなことも話して、仕事のことも、体の状態も話して。
カウンセラーの方からバトンタッチした先生は「もう、我慢しないでくださいね。一緒に治しましょう」と言って下さいました。
しかしちょっと我慢しすぎたらしく、私結構悪くなってたみたいです。
先生は「普通ある程度様子を見てから診断を出すんで、初回の患者さんには勧めないんだけど…お仕事をしばらく休めない?」と言われてしまいました。
すぐには休めないのはもう書いてきた通りだったんですが、その言葉で少し楽になりました。
病気だから、という免罪符を貰った気になったんです。
さっき病気だといわれるのも、そうでないのも嫌…と書いたんですが、病気のほうがまだマシだったみたいです。
この時はすぐそれを受け入れて、薬を貰い、「いつでも診断書は出せるから上司に相談して」という先生の言葉を後ろ盾にできただけで、なんだかホッとしたんです。その日半日仕事を休めたのも大きかったようです。
上司にかくかくしかじかで通院をしているという事と、先生に病気休暇を勧められている事を告げ、週一回通院のために半日ずつ休むことを宣言しました。
それには勇気がいりましたが、もうしかたないものは仕方ない!とぶつかりました。
ココで勇気をくれたのは、コンサート友達の言葉でした。
彼女は20代で大病を患い、会社を辞めました。というか、辞めざるをえませんでした。上司が見舞いという体で退職勧告に来たりもしたといいます。法的にどうあれ、職場の状況やいろいろな事情があったと思います。
そして彼女は会社を入院中に辞めていました。
そんな訳で彼女の言葉は「会社に尽くしても会社は何も返してくれない。自分を大事にしなさい」でした。
私がどんなに頑張っても、頑張ったという事柄に対し会社は何もくれないのだから、頑張らなくていい。
そう言ってくれました。ウチの会社は福利厚生の制度はまあ例の彼女のようにすごく充実しているんですが、病気と闘わなければいけないのは私です。
我慢で自分が壊れてしまったあとに休みを貰うより、通院のために普通の有給休暇を使うほうがいいと、私は判断しました。
そんな訳で、週一回半日ずつ。落ち着けば2週に一回くらいでいいと聞いていましたから、20日の有給からなんとか通院して行こうと決めた私でした。
朝吐いて、出勤して、入り口の前で30秒ほど逡巡してから社屋に入る、という生活が始まりました。
当時のメモを見返すと、初めのうち2~3日に一度出勤前と、社屋に入ったあとに吐く、という具合でしたが、だんだんと回数は増し、昼休憩から戻る前にも吐くようになりました。
そしてこれはまだ吐き始める前。半年くらいですか。
普通日曜の6時ごろから翌日の出勤が憂鬱になるアレにもなってました。アレがだんだん早くなるんですね。
日曜の昼回るともうだめ、土曜の夜ダメ。土曜の朝眠りが浅いせいで昼までぐだぐだして活動するんですが、活動し始めたらもうダメ。
とうとう金曜の夜、夕食までだけ元気で、金曜の夜布団に入るともう月曜に気持ちが飛んでいく様になりました。
サザエさん症候群とか言うんでしたっけ、日曜夜元気なくなるの。
アレ馬鹿に出来ませんね。本当にアレはうつのサインです。
早めのカウンセリングや、通院をオススメします。私も今の病院に通院してから、先生に「もっと早く来てよかったんだよ」と言われました。無理なんかしなくていい、恥ずかしくなんてありません。
悩んだら行って下さい。
だいたいの心療内科は平日しか開いていなかったりします。(働いている人向けだと思いますが、夜までやっているところもあります。)私の経験上、休みをもぎ取ってでも平日に行くのをオススメします。
何故かと言うと、土曜開いていれば、大概の仕事が悩みの人たちはソコに集中するんです。
つまり、一人にかける時間は減っていきます。
私は最初に行った病院は4回程で止めました。
一回3分ほどの対話で2000円近くかかって、処方された薬(勿論別で2000円くらい)で体の疲れは多少取れたんですが、本当にそれだけ。不安だったんです。誰が処方しても薬の効果はあるかもしれません。処方箋代だと思って通うのも良いかもしれません。
でも私は会うたび「どうでした?」「じゃあまた同じくすりだします」しか会話のない先生を信頼することは出来ませんでした。
今通っている病院は平日だけの完全予約制です。でも先生は夫のこと、私の趣味まで知ってくれています。
そういう先生に出会えてよかったと思っています。
何より、「もっと早く来てよかったんだよ」という最初の言葉。
それで救われた気がしたんです。
勿論これはまだ、病気に向き合うほったんでしかなかったんですが。
当時のメモを見返すと、初めのうち2~3日に一度出勤前と、社屋に入ったあとに吐く、という具合でしたが、だんだんと回数は増し、昼休憩から戻る前にも吐くようになりました。
そしてこれはまだ吐き始める前。半年くらいですか。
普通日曜の6時ごろから翌日の出勤が憂鬱になるアレにもなってました。アレがだんだん早くなるんですね。
日曜の昼回るともうだめ、土曜の夜ダメ。土曜の朝眠りが浅いせいで昼までぐだぐだして活動するんですが、活動し始めたらもうダメ。
とうとう金曜の夜、夕食までだけ元気で、金曜の夜布団に入るともう月曜に気持ちが飛んでいく様になりました。
サザエさん症候群とか言うんでしたっけ、日曜夜元気なくなるの。
アレ馬鹿に出来ませんね。本当にアレはうつのサインです。
早めのカウンセリングや、通院をオススメします。私も今の病院に通院してから、先生に「もっと早く来てよかったんだよ」と言われました。無理なんかしなくていい、恥ずかしくなんてありません。
悩んだら行って下さい。
だいたいの心療内科は平日しか開いていなかったりします。(働いている人向けだと思いますが、夜までやっているところもあります。)私の経験上、休みをもぎ取ってでも平日に行くのをオススメします。
何故かと言うと、土曜開いていれば、大概の仕事が悩みの人たちはソコに集中するんです。
つまり、一人にかける時間は減っていきます。
私は最初に行った病院は4回程で止めました。
一回3分ほどの対話で2000円近くかかって、処方された薬(勿論別で2000円くらい)で体の疲れは多少取れたんですが、本当にそれだけ。不安だったんです。誰が処方しても薬の効果はあるかもしれません。処方箋代だと思って通うのも良いかもしれません。
でも私は会うたび「どうでした?」「じゃあまた同じくすりだします」しか会話のない先生を信頼することは出来ませんでした。
今通っている病院は平日だけの完全予約制です。でも先生は夫のこと、私の趣味まで知ってくれています。
そういう先生に出会えてよかったと思っています。
何より、「もっと早く来てよかったんだよ」という最初の言葉。
それで救われた気がしたんです。
勿論これはまだ、病気に向き合うほったんでしかなかったんですが。
糸が切れたのは例の彼女の3年の休職が終わった時です。
そこで、私は辞めるという選択もできる、それに彼女が解雇されてウチの部署に完全な空席ができるのです。
何故私たちが3年も辛い思いをしたかといえば、「休職はいつ復帰してもおかしくないので補充がはいらない」といううちの会社の制度のせいなんです。ということは、彼女の解雇が2月のはずでしたから、4月には補充が来るかもしれない。それなら辞めなくてもいいかもしれない。
うちの会社はいっこいっこの部署が小さいのですが、はっきりいって大きい会社なので出来れば辞めたくなかったんです。
しかし。
そのときまで上司も知ら無かった制度がありまして。ビックリドッキリなことに、彼女はもう一度半年の病気休暇が取れることになりました。
私は、2月前後は彼女が復帰するのか、復帰したら顔を合わせたくないから辞めよう、解雇になったら続けようとか考えていました。
2月、2がつって。
しかし、結局8月までお給料まで出て彼女が残ると分かった時。
何かが壊れました。
今まで更衣室や、布団の中や、そんなところで我慢していた思いが噴出しました。
これは病気のせいじゃないと、今でも思います。
そんな正当化されることでも、正当化したいとも思いません。私が子供だったんです。
上司に向かって「どういうことですか、あと半年ってなんですか聞いてません、彼女はどういうつもりですか」
ヒステリーを起こして、怒鳴って、更衣室に逃げました。
社会人としてはっきり言ってダメです。9年も社会人で結構自制とか学んだつもりだったのですが、キレてしまいました。今思うと本当にダメですね。子供にもほどがあります。
その後大人な上司はそれに触れることも無く。そのまま時は過ぎました。
そして、休日はバタンキューで眠るのがモットー、コンサートでストレス解消してなんとかやってきていた私が、眠れなくなりました。コンサートを楽しめなくなりました。
学生時代から10年同じアーティストが好きで、出来のよしあしはツアーごとに感じつつも楽しんできたのに。
楽しめなかった。
それどころか3時間のコンサートを途中で帰ろうかとまで思ったんです。
馬鹿みたいかもしれませんが。コンサートが楽しくなかった時が初めて「うつ病かな」と思った瞬間です。
本当に怖かったんです。
自分はもう何も楽しめないとまで思いました。
同じ頃、食事を吐き始めました。
そこで、私は辞めるという選択もできる、それに彼女が解雇されてウチの部署に完全な空席ができるのです。
何故私たちが3年も辛い思いをしたかといえば、「休職はいつ復帰してもおかしくないので補充がはいらない」といううちの会社の制度のせいなんです。ということは、彼女の解雇が2月のはずでしたから、4月には補充が来るかもしれない。それなら辞めなくてもいいかもしれない。
うちの会社はいっこいっこの部署が小さいのですが、はっきりいって大きい会社なので出来れば辞めたくなかったんです。
しかし。
そのときまで上司も知ら無かった制度がありまして。ビックリドッキリなことに、彼女はもう一度半年の病気休暇が取れることになりました。
私は、2月前後は彼女が復帰するのか、復帰したら顔を合わせたくないから辞めよう、解雇になったら続けようとか考えていました。
2月、2がつって。
しかし、結局8月までお給料まで出て彼女が残ると分かった時。
何かが壊れました。
今まで更衣室や、布団の中や、そんなところで我慢していた思いが噴出しました。
これは病気のせいじゃないと、今でも思います。
そんな正当化されることでも、正当化したいとも思いません。私が子供だったんです。
上司に向かって「どういうことですか、あと半年ってなんですか聞いてません、彼女はどういうつもりですか」
ヒステリーを起こして、怒鳴って、更衣室に逃げました。
社会人としてはっきり言ってダメです。9年も社会人で結構自制とか学んだつもりだったのですが、キレてしまいました。今思うと本当にダメですね。子供にもほどがあります。
その後大人な上司はそれに触れることも無く。そのまま時は過ぎました。
そして、休日はバタンキューで眠るのがモットー、コンサートでストレス解消してなんとかやってきていた私が、眠れなくなりました。コンサートを楽しめなくなりました。
学生時代から10年同じアーティストが好きで、出来のよしあしはツアーごとに感じつつも楽しんできたのに。
楽しめなかった。
それどころか3時間のコンサートを途中で帰ろうかとまで思ったんです。
馬鹿みたいかもしれませんが。コンサートが楽しくなかった時が初めて「うつ病かな」と思った瞬間です。
本当に怖かったんです。
自分はもう何も楽しめないとまで思いました。
同じ頃、食事を吐き始めました。
人間3年って慣れるもので。なんとか暮らしてました。
組合の役員とかもやっちゃって。結構張りがあってやっていられました。
でも時折彼女の話になると、ものすごいブルーになったりはしていました。
私たちが頑張っているのに、1年ちょっと勤めただけの彼女が100%ではないにせよ給与を得ていることは、会社に寄生しているように見えました。上司が社交辞令とはいえ、彼女の親に電話等で「現場は大丈夫だから静養するように」と話しているのを聞いたりすると、涙が止まらなくなったりすることもありました。なにが大丈夫なものか、私たちがどんな思いで彼女の穴を埋めているのか。
しかし直接現場に出ない上司にそれは伝わらなかったし、社会人だし大人ですからそれ以外の台詞がないのも分かってはいました。
でも悔しかったんです。彼女がとても憎くて。
私は今思うと、仕事が辛くて、それをせずにお金を得ている彼女が羨ましかったのかもしれません。
私は昔からお金は自分という人間の活動を他のことに使う代償として得るものだという堅固な考えがありました。親が商売をやっていたこと、アルバイトをやったこと、そんなことが影響していたかもしれません。
皆さんもアルバイト、つまり時給を貰うと自分の1時間に値段がついた感覚を持ったことってありませんか?
とにかく、24時間を自分のものにしていて、かつお金を貰う意味が私には分からなかったんです。
勿論、病気なんですから保護として会社がそれを与えているのですし、それは必要な制度で、後に私も利用したんですが、当時の私には彼女が私ともう一人の先輩社員に寄生している寄生虫のようにすら思えました。
ただ、今にして思えば私の彼女への思いはスケープゴートだったのかもしれません。
自分の疲れや、辛い状況は全部彼女が作ったものだと。実際5割くらいは本当に彼女のせいだと今でも思っていますが、逃げ道にしていたのも事実です。
彼女さえいなければ。
そんな気持ちのでしたが、気を張っていられた理由でした。
辞めなかった理由でもありました。
だって私がその時辞めても普通の退職で、翌日からおまんま食い上げです。
でも彼女は病気だからお金がもらえるんですよ。ね?辞められませんよ。彼女のせいで辞めるのに、困るのが自分だけ、損するのが自分だけ。やってられっか!って。
「彼女が辞めるか、休職3年が過ぎて解雇になるまで私は絶対に辞めない」
そう思って続けました。
そんな恨みや損得で続けなくてもよかったのに。
今は思います。
辞めたい、辞めたいが口癖になって来たあたりで辞めてよかったんじゃないかな。
間に私は結婚もしました。
母がいうには彼と付き合ううち、少し明るくなって安心していたそうです。
でも結婚しても辞めたかったけど辞めなかったんです。
その時ウチの部署の3人前の仕事を2人でやってたんですよね。私が入社した時4人だったのに。
私、辞めれないなーと思ったんです。彼女のこと云々以前に。
人がいない!
ちなみにこの3年の間に異動があって、もう一人の先輩はもっと忙しい部署なのに、一人うつで休職している別の部署へ行きました。その先輩が会うたびにすごい頑張りを見せてくれて。
なのに辞めるのは負けだなとか、この尊敬する先輩に根性ナシだと思われたくないとか、まあお金のこととか、新しい先輩はすごく飄々とした人で、大丈夫そうだったけど物理的に3人前の仕事は無理とか。
いろいろ考えて勤めていました。
でも其の間に、わたしは毎朝泣きながら通勤したり、朝、更衣室は必ず一人なのをいいことに、机を投げたり、自分のお弁当を投げたりしていました。
机を直すのも、ぶちまけてお昼食べれなくなるも自分なのに我慢ができなかったんです。何ででしょうね。
お弁当箱はいくつもダメになりました。割れて。
でも、不思議と仕事はできました。
お弁当や、机にやつあたりをして仕事をしていました。
でも、それでも、糸が切れる日は来ました。
組合の役員とかもやっちゃって。結構張りがあってやっていられました。
でも時折彼女の話になると、ものすごいブルーになったりはしていました。
私たちが頑張っているのに、1年ちょっと勤めただけの彼女が100%ではないにせよ給与を得ていることは、会社に寄生しているように見えました。上司が社交辞令とはいえ、彼女の親に電話等で「現場は大丈夫だから静養するように」と話しているのを聞いたりすると、涙が止まらなくなったりすることもありました。なにが大丈夫なものか、私たちがどんな思いで彼女の穴を埋めているのか。
しかし直接現場に出ない上司にそれは伝わらなかったし、社会人だし大人ですからそれ以外の台詞がないのも分かってはいました。
でも悔しかったんです。彼女がとても憎くて。
私は今思うと、仕事が辛くて、それをせずにお金を得ている彼女が羨ましかったのかもしれません。
私は昔からお金は自分という人間の活動を他のことに使う代償として得るものだという堅固な考えがありました。親が商売をやっていたこと、アルバイトをやったこと、そんなことが影響していたかもしれません。
皆さんもアルバイト、つまり時給を貰うと自分の1時間に値段がついた感覚を持ったことってありませんか?
とにかく、24時間を自分のものにしていて、かつお金を貰う意味が私には分からなかったんです。
勿論、病気なんですから保護として会社がそれを与えているのですし、それは必要な制度で、後に私も利用したんですが、当時の私には彼女が私ともう一人の先輩社員に寄生している寄生虫のようにすら思えました。
ただ、今にして思えば私の彼女への思いはスケープゴートだったのかもしれません。
自分の疲れや、辛い状況は全部彼女が作ったものだと。実際5割くらいは本当に彼女のせいだと今でも思っていますが、逃げ道にしていたのも事実です。
彼女さえいなければ。
そんな気持ちのでしたが、気を張っていられた理由でした。
辞めなかった理由でもありました。
だって私がその時辞めても普通の退職で、翌日からおまんま食い上げです。
でも彼女は病気だからお金がもらえるんですよ。ね?辞められませんよ。彼女のせいで辞めるのに、困るのが自分だけ、損するのが自分だけ。やってられっか!って。
「彼女が辞めるか、休職3年が過ぎて解雇になるまで私は絶対に辞めない」
そう思って続けました。
そんな恨みや損得で続けなくてもよかったのに。
今は思います。
辞めたい、辞めたいが口癖になって来たあたりで辞めてよかったんじゃないかな。
間に私は結婚もしました。
母がいうには彼と付き合ううち、少し明るくなって安心していたそうです。
でも結婚しても辞めたかったけど辞めなかったんです。
その時ウチの部署の3人前の仕事を2人でやってたんですよね。私が入社した時4人だったのに。
私、辞めれないなーと思ったんです。彼女のこと云々以前に。
人がいない!
ちなみにこの3年の間に異動があって、もう一人の先輩はもっと忙しい部署なのに、一人うつで休職している別の部署へ行きました。その先輩が会うたびにすごい頑張りを見せてくれて。
なのに辞めるのは負けだなとか、この尊敬する先輩に根性ナシだと思われたくないとか、まあお金のこととか、新しい先輩はすごく飄々とした人で、大丈夫そうだったけど物理的に3人前の仕事は無理とか。
いろいろ考えて勤めていました。
でも其の間に、わたしは毎朝泣きながら通勤したり、朝、更衣室は必ず一人なのをいいことに、机を投げたり、自分のお弁当を投げたりしていました。
机を直すのも、ぶちまけてお昼食べれなくなるも自分なのに我慢ができなかったんです。何ででしょうね。
お弁当箱はいくつもダメになりました。割れて。
でも、不思議と仕事はできました。
お弁当や、机にやつあたりをして仕事をしていました。
でも、それでも、糸が切れる日は来ました。